大判例

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東京高等裁判所 昭和37年(行ナ)191号 判決

原告 東洋レーヨン株式会社

被告 日本レイヨン株式会社

主文

特許庁が、昭和三十七年九月二十七日、同庁昭和三十一年審判第二三七号事件についてした審決は、取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一求めた裁判

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二請求の原因

原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のとおり述べた。

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和二十八年十二月二十八日特許出願にかかる登録第二二〇〇三七号、「合成繊維糸による縮織物製造法」の特許権者であるところ、被告は、昭和三十一年五月四日、右特許につき特許無効の審判を請求し(昭和三一年審判第二三七号事件)、昭和三十七年九月二十七日、右特許を無効とする旨の審決があり、その審決の謄本は、同年十月十三日、原告に送達された。

(本件特許発明の要旨)

二  本件特許発明の要旨は、次のとおりである。

「合成繊維糸に左及び右に強撚を施して下撚りする第一工程と、これに熱を与えてその撚り状態を固定する第二工程と、左撚りのものは右に、右撚りのものは左に0点以上に逆撚りして上撚りする第三工程と、これを充分伸しながら糊を施し、乾燥して一時的に糸の収縮力を抑える第四工程と、次に織物に織成する第五工程と、次にこの織物に衝撃を与えながら糊抜きしてシボ寄せする第六工程の結合を特徴とする合成繊維糸による縮織物の製造法。」

(審決理由の要点)

三  審決は、本件特許発明は、その出願前、国内に頒布された仏国特許第九四六二〇五号明細書(甲第三号証)(審判手続における甲第二号証)(以下引用例という。)から当業者が容易になしうる程度のものと認められるから、旧特許法(大正十年法律第九十六号)第一条の発明を構成するものとは認められないので、同法第五十七条第一項第一号の規定により、その特許を無効にすべきものである旨結論したが、その理由とするところは、次のとおりである。

(一)  本願発明の要旨は前項記載のとおり。

(二)  引用例には、ポリヘキサメチレンアヂパマド(ナイロン)の糸から擬毛織物を製造することについて記載があり、その中に、ナイロン糸に左及び右に強撚を施して下撚りする工程、浸漬する工程、熱を与えて撚り状態を回定する工程、左撚りのものは右に右撚りのものは左に逆撚りして解撚する工程、合撚する工程、伸ばしながら糊を施す工程、織物を織成する工程及び糊抜き洗滌する工程が示されている。

(三)  本件特許発明(前者)と引用例(後者)との対比

(一致点)

両者は強撚工程、熱固定工程、解撚工程、糊付工程、織成工程及び糊抜工程を用いた合成繊維より成る捲縮織物の製造法である点において全く一致している。

(相違点)

両者は、次の点において差異がある。

(1) 解撚工程において

前者は左右強撚糸を0点を越えて逆撚り。後者は、一方は0点を越し、他方は0点を越さない。

(2) 糊付織成工程において

前者は単糸を用い、後者は合撚糸を用いる。

(3) 糊抜工程において

前者は織物に衝撃を与えながら糊抜きし、後者は衝撃についての説明を欠く。

(4) 浸漬工程において

前者にはこれを欠き、後者にはこれがある。

(5) 最終製品において

前者は薄地織物(デシンクレープ織物等の縮織物)であるが、後者は厚地織物である。

(相違点に関する説示)

(1) 解撚工程について

熱固定後の解撚工程で、0点を越えて逆撚りすることについては出願当初の明細書の記載を合せ考えると、格別特徴あるものとは認められないのみならず、出願前の公知刊行物である甲第六号証(審判手続における甲第三号証)、同第七から第九号証(同じく第四から第六号証)によつても明らかなように、本件特許出願前における解撚技術の常識である。

(2) 糊付織成工程について

織成の原糸として単糸を用いるか合撚糸を用いるかは、織物の種類に応じてとられる当業者の常套手段である。単糸を用いる場合左撚りと右撚りの糊付糸を交互に打ち込んで織成するようなことは、縮織物、とくにデシンクレープ織物等の織成の際における緯糸の糸使い(配列等)として、きわめて普通のものである。

(3) 糊抜工程について

織物の糊抜き洗滌等に際して、もむ、たたく等の操作(衝撃)を与えることは、当業者の慣用手段である。なお、糊抜き液として、前者が冷水又は温湯を用いるに対し、後者は摂氏八〇度のような高温のものを用いた点については、本件特許請求の範囲にその限定がないのみでなく、糊抜き液の温度の程度は、その前後の状況に応じて、当業者が適宜決定することができる常識的な範囲である。

(4) 浸漬工程について

この工程を廃した捲縮糸の製造は、前掲甲第八号証(審判手続における甲第五号証)等により、本件特許出願前公知である。

(5) 最終製品について

織物の厚薄軽重は、その用途に応じ、糸の種類、太さ、織物の組織等を当業者が適宜容易に変更して得られるものである。

(審決を取り消すべき事由)

四  本件審決は、次の点において事実誤認の違法があり、取り消されるべきである。すなわち、本件審決は、

(イ)  本件特許発明の方法による製品と引用例の方法による製品との相違を、単に織物の「厚薄軽重」にすぎないものと誤認し、前者が本絹縮風合の縮織物であり、後者が擬毛織物であることの差異を不当に小さく評価し、

(ロ)  得られる製品の相違が、織物製造のための諸条件の結合の仕方の相違にあることを誤認し、各条件を個別的に切り離して比較し、その個別の相違条件は、単に当業者の常套手段であると誤認し、

(ハ)  本件特許発明における衝撃を与えながら糊抜する工程を糊抜の常套手段である「もむ」「たたく」等と同一視する誤りをおかし、かくして、本件特許発明が引用例から容易に推考できると判断したものであり、結局、本件特許発明と引用例とを誤認した違法のものである。以下、本件審決の判示に即して、これを詳述する。

(一) まず、本件特許発明の要旨、引用例の記載並びに本件特許発明と引用例との一致点及び相違点が、いずれも審決認定のとおりであることは争わない。ただし、審決は、両者が合成繊維より成る捲縮織物の製造法である点において一致すると認定しているが、いうところの捲縮織物とは捲縮糸を用いた織物の意であり、縮織物の意ではないと解する。引用例の製品は、審決も判示しているように、厚地織物であり、本件特許発明の方法による製品のような縮織物ではない。

(二) 本件審決が各工程について判示したところも誤りである。すなわち、

(1) 解撚工程について

熱固定後の解撚工程において0点を越えて解撚することが本件特許出願前公知の技術であることは争わない。しかし、このような糸が知られていたからといつて、引用例から本件特許発明の方法が容易に推考できるものではない。

(2) 糊付織成工程について

織成の原糸として単糸を用いるか合撚糸を用いるかは織物の種類に応じてとられる当業者の常套手段であるとすることは誤りである。単に織成の原糸として合撚糸に代えて単糸を用いたからといつて、引用例の方法に従つて、本件特許発明の方法による製品のような縮織物が得られるわけではない。織成原糸の選択は、織物製造のための他の諸条件、すなわち、織組織、加工処理等の諸条件の選択と相まつてはじめて所望の織物をもたらすことになるのであり、これらの諸条件の結合の仕方は、ほとんど無限であり、したがつて、これらの条件の組合せの中から、織成原糸として何を選ぶかを決することは、決して当業者が織物の種類に応じてなしうる常套手段などというべきものではない。また左撚りと右撚りの強撚糸を交互に打ち込んで織成することが縮織物、とくにデシンクレープ織物等の織成の際における緯糸の糸使いとして普通のものであることは認めるが、本件特許発明におけるようにこれら強撚糸を糊付して使用することは普通ではない。

(3) 糊抜き工程について

織物の糊抜洗滌等に際して、「もむ」、「たたく」等の操作(衝撃)を与えることが、当業者の慣用手段であり、本件特許発明における糊抜液の温度が当業者の適宜決定しうる範囲のものであることは争わないが、このような慣用手段としての衝撃は、織成した織物を十分浸漬したのちに、「もむ」、「たたく」等の操作をして行うものであるが、本件特許発明の方法においては、これと異り、衝撃を与えつつ糊抜液に浸漬して糊抜シボ寄せを行うものである。

(4) 浸漬工程について

浸漬工程を廃した捲縮糸の製造が本件特許出願前公知であることは争わない。

(5) 最終製品について

この点に関する本件審決の認定は決定的に誤つている。そもそも、本件特許発明の方法による製品と引用例の方法による製品との相違は、単に「織物の厚薄軽重」にあるだけではない。両者は共に合成繊維の捲縮糸を用いているとはいえ、前者は本絹縮の風合を有する織物であり、後者は縮じわを全く有しない擬毛織物である。このような差異は、単に、糸の種類、太さ、織物の組織等を適宜変更することによりもたらされるものではない。本件特許発明は、純絹と同様の風合のある縮織物を製造する方法であり、縮織物とは「布面に凹凸の畦状縮じわのある織物」を意味するが、引用例の製品は、「非常に密で、極端に柔軟で、高い弾性と大きな熱絶縁力をもち、家庭的な日常的な取扱いに対して完全な永久性を有する織物」いいかえれば擬毛織物を目的とし、この引用例における織物組織の唯一の実施例を忠実に追つて織物を製造した結果によつても、得られた織物は、引用例にいうグロ・ド・ツール組織の織物、すなわち、横うねの出た織物であり、厚地の擬毛織物といわれるようなものであるが、如何なる意味でも畦状縮じわはなく、縮織物というべきものではない。

(三) 本件特許発明の方法は、引用例から容易に推考できるものではない。前述したとおり、織物は常に数個の工程の結合により製造され、各工程には無数の変化があり、したがつて、その工程の結合の仕方は無限である。この結合された全体のうちの一工程に僅かの変化が加えられた場合でも最終製品としての織物に、全く別個の外観風合が与えられることは、しばしばである。したがつて、織物の製造方法を比較する場合には、常に全体として比較しなければならない。換言すれば、これを各工程に分解して比較する場合にも、常にその相違が全体との関連において如何なる意味をもつか、最終製品の外観風合にどのような影響を与えるかを考えながら比較しなければならない。

(1) この観点からするとき、本件審決が本件特許発明における「衝撃を与えながら糊抜きしてシボ寄せする」工程を誤認したことは、ことに重大である。本件特許発明における糊抜、シボ寄せは、糊抜液に織物を浸漬しながらかつ、これと同時に、衝撃を与えながら行われるのであり、糊抜工程における常套手段であるところの十分浸漬してのちに補助的に行うもむ、たたく等の作業とは全く異質のものである。本件特許発明の方法においては、この「衝撃を与えながら糊抜きしてシボ寄せする」工程は必須であり、これなくして、すなわち、単に浸漬して糊抜きしただけで所望の縮織物ができないことは勿論、浸漬してのちに衝撃を与えて糊抜しても所望の織物は得られない。引用例の方法における糊抜工程を置き換えても、やはり同断である。

(2) さらに、本件特許発明の場合、強撚糸を一旦熱固定したうえ0点を越えて解撚して作つた糸を織成の原糸とすることを必須の構成要件としていることは、その特許請求の範囲の記載から明らかであり、一方は0点を越え、他方は0点に達しないように解撚された二本の糸から成る合撚糸を織成の原糸として用いる引用例とは決定的に異つている。そして、この織成原糸の相違は、引用例の場合は嵩高な擬毛織物を得るという目的と不可分に結びついており、本件特許発明の場合は、純絹縮みと同様の外観風合を有する合成繊維織物を得るという目的と不可分に結びついており、一をもつて他に置き換えうるという関係に立つものではない。ことに0点を越えて解撚した糸を織成原糸として用いることは、他の諸工程と結合して、はじめて合成繊維による純絹縮みと同様の風合を有する縮織物の製造を可能にしたものである。

(3) 本件審決は、前掲引用例のほか、ドイツ特許第六一八、〇五〇号(甲第六号証)、スイス特許第二三七、九五四号(甲第七号証)、同特許第二二八、四〇九号(甲第八号証)及び同特許第二三三、一五〇号(甲第九号証)を引用しているが、これら引用例は、すべて0点を越えて解撚した糸の製造方法に関するものであり、単にこのような解撚糸が公知であつたということを示すにすぎない。このような解撚糸を織成原糸として用いて、引用例のフランス特許とも異り、従来公知の純絹縮緬や御召、あるいは人絹ジヨーゼツトの如きものとも異る方法で、合成繊維による縮織物の製造に成功したのが本件特許発明であり、このような解撚糸(ことに、0点を越えて解撚した糸)を用いて、如何にして縮織物を製造するかについて、これらの引例は、何の教示も示唆も与えていない。

五  被告の主張に対する反論

(一)  ナイロン自体の特性は、ナイロンの発明後日ならずして明らかにされたが、このナイロンを用いて捲縮糸を作ることは、当業者が当然になしうることではなかつた。捲縮糸の伸縮性、嵩高性その他の特性が知られているのちにおいても、その利用面を開発することは、当業者が当然になしうることではない。引用例においては捲縮糸の嵩高性を利用した擬毛織物の製法が開示されているが、この捲縮糸を利用して縮織物を作るという思想については、その示唆すら記載されていない。このような意味で、合成繊維の場合、少くともこれを加工した場合に有する特性、その利用面は、決して知り尽されているというようなものではなく、したがつて、天然繊維による織物の技術の一部に変更を加えれば足りるというようなものでもない。

(二)  引用例は、擬毛織物という全く異つた種類の織物を目的とすることから、全然範疇を異にする工程の結合という枠を形成している。被告の所論に従つても、全く枠を異にする技術を比較することはできない筈である。引用例の捲縮糸を用いた程度のことでは、本絹又は人絹の縮織物の製造技術をもつて、あるいは、その一部に多少の変更を加えることによつて、合成繊維の縮織物を製造することは不可能である。

(三)  引用例に合撚した捲縮糸を糊付するという記載があることは事実であり、糊が抜ければ収縮することは当業者ならずとも自明であるかもしれない。しかし収縮すればシボが立つというものではない。事実、引用例では、単に織物に嵩高性が与えられているだけである。本件特許発明において、捲縮糸を緊張状態で糊付して織成することは、天然繊維や再生繊維の縮織物の製法と対比して、きわだつて異なる特徴の一をなしており、引用例の場合のそれとは、その技術的意味、効果を全く異にする。

(四)  ウインス、ワツシヤーを用いるといえば、浸漬して糊を十分膨潤させたのちに回転衝撃が与えられるかのような誤解を生じ易いので、明細書を訂正削除したものであり、この記載から、本件特許発明の糊抜工程の衝撃が常套手段としての衝撃と同じであるといいうるものではない。

(五)  強く糊付した糸を強撚し、これを製織し、浸漬して糸の中にくい込んだ糊をもち出してシボを立てるお召類の技術や、糊付しない強撚糸を製織し、単に衝撃を与えてシボ立てする人絹ジヨーゼツトの技術は、それぞれ固有の枠の中での技術であり、一をもつて他に置き換えうるものではない。けだし、「もむ、たたく」といい、「ワツシヤーで衝撃を与える」といつても、その付着した、あるいは、付着していない糊との関係において、そのもつ技術的意味、効果を全く異にするからである。いわんやこの種の技術を擬毛織物製造の技術と単に結合させることにより合成繊維による縮織物ができるわけのものではない。

第三被告の答弁

被告訴訟代理人は、答弁として、次のとおり述べた。

本訴請求の原因として原告の主張する事実のうち、第一項から第三項の各事実は認めるが、その余は否認する。本件審決の認定は正当であり、原告が主張するような違法の点はない。以下、これを詳述する。

一  原告の基本たる主張について

(一)  織物製造の技術は、有史以来存在発展してきた、きわめて古い歴史を有するものであるが、織物製造の素材となる繊維は、天然繊維による長い時代を経て、再生繊維、半合成繊維が発明され、次いで、ナイロンの発明を一転機として合成繊維が脚光を浴びて今日に至つた。しかして、天然繊維を素材とする織物製造技術は、天然繊維のそれぞれが保有する独特の性質の探求と、人間が要求する独自の性質をもつ織物を作り出そうという創造とが組み合わされて、糸使い、織組織、加工技術の開発という形で、長い年月を経過した。合成繊維が誕生するには、すでにすべての天然繊維の特性が知り尽され、それぞれの繊維の特性を基礎として生かして人間の欲求に答えるあらゆる種類の織物が生み出された。結局、繊維から織物にする糸使い、織組織、加工技術等は、すでに確立されていたといつて過言ではない。したがつて、ある種類の織物を製造する場合に、如何なる繊維素材を使用し、この素材を如何なる順序で加工すればよいかは、すでに多くの研究によつて明らかにされているのである。少くとも天然繊維を素材とする織物製造においては、各織物製造のための方法及び工程は特定され、特殊な工程の組合せということはありえない。織物の種類に応じて、おのずから一定の工程の組合せができ上つているのである。しかし、その基礎はあくまでも素材たる繊維の特性と一定の織組織から出発しているのであり、素材の特性と織物の種類とは、切り離して考えることができないものである。

(二)  合成繊維研究の歴史は、天然繊維研究のそれに比して、日が浅いが、近代化学の長足の進歩により、合成繊維の素材としての特性は、短期間において知り尽されている。しかし、織物製造のための加工技術は、天然繊維による長い歴史の基礎の上に立ち、合成繊維の誕生の故に新たな加工技術が付加され、また変化される部分もないわけではないが、天然繊維による従来の織物を目標とし、指針として、合成繊維を素材とする織物の製造が行われているのが実情である。いま、本件に即してこれをみるに、本件特許発明における目的物である縮織物の製造技術は、天然繊維(とくに絹)及び再生繊維(とくに人絹)を素材とする織物分野において確立されていたものであり、糸使い、織組織を含めてその加工技術としては、そこに一定の工程の組合せが当然に存在する。合成繊維と天然繊維等とでは、繊維素材として特性に差異があることは知られている。したがつて、この特性の差異に基づき、天然繊維等の製造技術における一定の工程組合せのうち、その一部に変更を加えることは、技術者として当然のことである。このように、合成繊維を素材とする織物製造においても、目的とする織物の種類に応じて、おのずから一定の工程の結合という枠が存在するのである。本件審決は、このような織物製造における当業者の常識の基盤の上に立つて、ナイロン捲縮糸を素材とする引用例と本件特許発明の方法とを比較しているのであり、原告の主張するように、単純に工程のみを分解し比較しているのではなく、縮織物製造という先行技術により確立されている工程の枠の上に立ち、ナイロン捲縮糸を素材とする工程を提示し比較しているのであり、原告のいう全体との関係において工程をみているのである。原告の基本たる主張は、批判の的を射ているものではない。

二  工程の比較に関する原告の主張について

(一)  所望の織物を得るための糸使い、織組織の加工条件は、一定の枠として存在するものであり、そのための工程の結合様式の点において想像しえないようなものが入り込む余地はなく、諸条件の結合の仕方が無限ということはありえない。目的とする織物が定まれば、そこには、おのずから、どのような素材を使用し、その素材をどのような糸の形にし、糸使い、織組織をどうして、加工処理をどのような順序で行うかという一定の枠が形成される。引用例及びその他の証拠により、素材の特性と捲縮糸の特性が明らかにされ、実施例そのままに従えば、ナイロン捲縮糸の特性を生かした合撚糸を使用して新規な擬毛織物を製造する方法が示されている以上、捲縮糸の伸縮性を生かすには使用原糸としてどのようなものを使用すればよいかは、おのずから明らかとなつてくる。しかも、引用例には、このことが示唆されている。これに、従来の縮織物製造の技術を結びつけることは、当業者の常に行うところである。原告の主張は、非常に低い技術水準の当業者を前提とするならば、あるいは成り立ちうるかもしれないが、通常の知識を有する織物製造業者を対象とする場合には成り立ちえない。捲縮糸を糊付けして使用する点についても、新素材としてのナイロン糸を捲縮した場合の特性につき引用例において詳細に説明され、しかも、捲縮糸を糊付けして織成することについての記載も存する。捲縮糸を引張り糊付固定したものを糊を除けば収縮するのであろうことは当業者ならずとも容易に想像しうるところである。

(二)  原告は、従来の糊抜工程における常套手段は、十分浸漬してのち、もむ、たたく等の操作を行うのである旨主張するが、明らかに誤りである。常套手段としての糊抜き工程で通常使用されるウインス、ワツシヤーは、十分浸漬したのちに衝撃を与えるというような二段階により作動する装置とはなつていない。浸漬と衝撃とは同時に行われている。付着された糊を早く除去するためには、浸漬と同時に衝撃を与えればよいことは、当業者ならずとも経験的に知悉していることである。原告は、衝撃を与えながら糊抜、シボ寄せする工程に関する本件審決の判断は重大な誤認であると主張する。しかし、本件特許明細書においては「適当に衝撃を与える」とのみ記載され、原明細書(乙第一号証の一)には「この織物を冷水又は温湯中で、たとえばウインスの枠にかけ、又はワツシヤーに入れて回転衝撃を与える操作を持続すると、先に施した糸の糊が抜けると同時に糸本来の収縮力が発生して所望の縮織物が得られる」と記載されており、原告の主張するところとは異り、衝撃を与えながら糊抜するという工程は、何ら特殊なものではなく、従来の常套手段における糊抜工程と異るところはない。糊付捲縮糸を原糸として織成したものを糊抜シボ立するには、周知事実である御召類の技術とジヨーゼツトの技術を利用すればよいということは、当業者なら容易に考えられることであり、これが、すなわち、衝撃を与えながら糊抜される通常の糊抜手段の装置であるウインス、ワツシヤーの利用に結びつくのである。この故にこそ、本件の原特許明細書においては衝撃を与えながら糊抜する装置としてウインス、ワツシヤーがあげられているのであり、したがつて、本件審決が本件特許発明において糊抜き、洗滌において衝撃(もむ、たたく等の操作)を与えることは、当業者の慣用手段であると判断したのは正当である。

なお、浸漬と同時に糊抜しなくても、温度との関係において、糊抜の結果として生ずるシボの立ち方において変化はなく、糊抜液の温度の変化は、当業者の適宜決定しうるものであることは、原告も認めるところであり、また、シボの程度についても、本件特許明細書に何ら触れるところがないので、凹凸の縮じわが生ずれば足り、その良否は問題とはならないものである。

(三)  最終製品に関する原告の主張は全く無意味である。引用例の実施例そのままの製品は擬毛織物であり、織物の種類として別個の種類とされているものであることは異論のないことであるが、ここで問題なのは出願当時の技術水準の点である。一般縮織物の製造技術、ナイロン捲縮糸の特性が公知となつている事実を前提とすれば、本件審決が結局は織物の厚薄軽重ということで表現した趣旨は、糸の種類、太さ、織物の組織等を適宜変更すれば、本件特許発明の方法による最終製品は、右公知事実に基づいて容易に得られるものであるというにあること明らかであるから、本件審決には誤りはない。むしろ、原告の主張こそ誤りである。なお、本件特許発明が原告の主張するように本絹縮の風合を有する織物であるということはない。すなわち、本件特許請求の範囲にはこのような記載がないばかりでなく、原糸について単に合成繊維糸とのみ記載されているにすぎない。

第四証拠関係〈省略〉

理由

(争いのない事実)

一  本件に関する特許庁における手続の経緯、本件特許発明の要旨、引用例の記載及び本件審決理由の要点が、いずれも原告主張のとおりであることは、本件当事者間に争いがない。

(審決を取り消すべき事由の有無について)

二 本件特許発明は、「合成繊維糸による縮織物の製造法」にかかり、その要旨は、「合成繊維糸に左及び右に強撚を施して下撚りする第一工程と、これに熱を与えて、その撚り状態を固定する第二工程と、左撚りのものは右に、右撚りのものは左に、0点以上に逆撚りして上撚りする第三工程と、これを充分伸しながら糊を施し、乾燥して一時的に糸の収縮力を抑える第四工程と、織物に織成する第五工程と、この織物に衝撃を与えながら糊抜きしてシボ寄せする第六工程とを結合したことを特徴とするもの」であることは、当事者間に争いなく、これにより純絹(本絹)と同様の風合のある縮織物を得ようとするものであることは、成立に争いのない甲第二号証(本件特許公報)の「発明の詳細なる説明」の記載、とくに「………所望の縮織物が得られるのであるが」(左欄下から六行目)、「………ことによつて縮織物の各品種のシボ及び風合が自由に得られる……」(左欄下から四~三行目)及び実施例に関する「かくて純絹と同様の風合のあるデシンクレープ織物が出来た」(右欄下から十二~十一行目)との記載並びに本件口頭弁論の全趣旨に徴し、これを認めることができる。被告訴訟代理人は、この点に関し、本件特許請求の範囲には、本絹縮の風合のある織物である旨の記載はないから、本件特許発明の方法による縮織物がそのようなものであるということはないと主張するが、形式的に過ぎた議論といわざるをえない。けだし、本件特許請求の範囲にそのような記載のないことは指摘のとおりであるが、本件特許発明の趣旨が前認定のとおりであることは前掲資料に徴し明白であるのみならず、合成繊維糸による縮織物を製造するに当たり、できるだけ本絹の縮織物と同様の風合のある製品を得ようとするものであることは社会通念上、きわめて見易いところだからである。

しかし、本件審決が、本件特許発明をもつて前掲引用例から当業者が容易になしうる程度のものと認定し、したがつて、旧特許法第一条の発明を構成しないとしたことは、前項掲記のとおり当事者間に争いのないところであるが、本件特許発明は、引用例の工程と趣を異にするものを含む前記第一工程から第六工程の結合により、引用例による製品と織物としてその種類及び特性を異にする最終製品を得る技術的思想であるから、これをもつて引用例から当業者が容易にできる程度のものとした本件審決は、この点において、事実を誤認した違法があるものといわざるをえない。以下、これを詳説する。

(一)  本件特許発明と引用例との対比

両者が、強撚工程、熱固定工程、解撚工程、糊付工程、織成工程及び糊抜工程を用いた合成繊維糸より成る捲縮織物の製造方法である点において一致するが、解撚工程、糊付織成工程、糊抜工程、浸漬工程及び最終製品において相違することは、当事者間に争いのないところである。

しかして、本件審決は、これらの相違点は、当業者の常套手段あるいは出願前の公知技術ないしは当業者が適宜決定しうるものであるから、結局、本件特許発明は引用例から容易に実施しうべき程度のものである旨認定しているが、これら相違点に関する判断は、必ずしも当を得たものということはできない。

すなわち、

(1)  解撚工程について

本件特許発明における解撚工程につき、本件審決は、本件特許出願前における解撚技術の常識であり、格別特徴あるものとは認められない、としている。右解撚工程が本件特許出願前公知の技術であることは原告の認めて争わないところであるが、たとえ、それが公知の技術であるとしても、この工程が、本件特許発明の方法における六工程の一つとして、最終製品である本絹と同様の風合のある合成繊維糸から成る縮織物を得るために何らの機能ないしは作用を営むものでないと断ずることはできない。そして、もし、この工程が他の全工程と相まつて、のちに判示するように引用例の最終製品に比し別異の特性をもつ最終製品を得ることに何らかの貢献をするものであれば、単にその技術が公知であることの故に、本件特許発明の方法の一環として何らの特徴をもたないものとすることは、根拠のない論議といわざるをえない。

(2)  糊付織成工程について

この工程に関し、本件審決は、まず、「織成の原糸として単糸を用いるか合撚糸を用いるかは、織物の種類に応じてとられる当業者の常套手段である」という。いうところの「当業者の常套手段」とは、「当業者が合成繊維糸による縮織物の製造に当たり慣用する技術的手段」の意と解さざるをえないが(なぜなら、この種縮織物の製造と無関係にこの工程の作用を論議することは全く意味のないことだからである)、そのような意味での常套手段であることは、少くとも本件に現われた証拠資料からこれを認定することはできない。

また、本件審決は、「単糸を用いる場合、左撚りと右撚りの糊付糸を交互に打ち込んで織成することは、縮織物の織成における緯糸の糸使いとして普通のことである」と説示するが、そして、そのことは原告の争わないところであるが、本件特許発明の場合のように強撚糸を糊付して使用することも普通のことであろうか。これを認めるに足る資料を欠く。

(3)  糊抜工程について

この工程に関し、本件審決は、「織物の糊抜洗滌に際して、もむ、たたく等の衝撃を与えることは、当業者の慣用手段である」としている。このような操作が当業者の慣用手段あること(正確には、前記(2)の場合と同じく、「当業者が合成繊維糸による縮織物の製造に当たり用いる慣用手段」の意であろう)は、原告の争わないところであるが、このような操作が慣用手段であるとしても、本件特許発明における糊抜工程、すなわち、織物に衝撃を与えながら糊抜してシボ寄せする技術が別個の浸漬工程を省略したことと相まち、はたして、合成繊維糸による縮織物製造の過程における当業者の慣用手段であるといえるであろうか。これを肯定すべき証拠資料は見当らない。

(4)  浸漬工程について

この工程を廃した捲縮糸の製造が本件特許出願前公知であることは、原告の認めて争わないところであるが、本件特許発明においては、別個独立の工程としての浸漬工程を欠くにとどまり、糊抜に当たりある浸漬工程を行うものであること前掲甲第二号証の記載及び本件口頭弁論の全趣旨に徴し明らかなところであるから、浸漬工程を廃した捲縮糸の製造が本件特許出願前公知であることは、本件特許発明と引用例との対比において、何らの意味をもちえないことは、いうをまたない。

(5)  最終製品について

本件特許発明の方法による最終製品が本絹と同様の風合のある合成繊維糸による縮織物であること前認定のとおりであるに対し、引用例の方法による最終製品がグロ・ド・ツール組織の織物、すなわち、横うねのある厚地の保温性に富む擬毛織物であること当事者間に争いのない引用例の記載、成立に争いのない甲第三号証及び本件口頭弁論の全趣旨に徴し明らかであるから、これら両方法による最終製品は、合成繊維糸より成る捲縮織物という意味では同一の範疇に属するとはいえ、この種織物としての種別において、風合その他の特性において相距たること遠いものがあると認めるを相当とするところ、本件審決が、これをもつて単なる「織物の厚薄軽重」の差にすぎず、その用途に応じ、糸の種類その他を当業者が適宜容易に変更して得られるところであるとしたのは、はなはだしく事実を誤認したものといわざるを得ない。

(三)  被告の主張について

(1)  被告は、「本件特許発明における目的物である縮織物の製造技術は、天然繊維及び再生繊維を素材とする織物分野において確立されていたものであり、その加工技術としては一定の工程の組合せが当然に存在する。合成繊維と天然繊維等とでは繊維素材としての特性に差異があるから、この差異に基づき天然繊維等の製造技術における一定の工程の組合せの一部に変更を加えることは技術者として当然のことである」旨主張する(前掲被告の答弁の項一の(二))。合成繊維による織物の製造技術一般につき包括的大局的観測をすれば、あるいは、被告の主張するところが妥当するかもしれない。しかしそうしたいわば公知の技術の枠内において、これを如何に組み合せ、あるいは如何に変更修正し、これにより、独特の特性をもつ合成繊維糸による織物を得ようとする工夫もまた、技術的意義をもつことなしとしない。現に、成立に争いのない甲第十二、第十三号証及び証人富樫慶次郎の証言(第一、二回)によつても窺知しうるように、本件特許発明の方法により独特の風合のある合成繊維糸による縮織物の製造に成功するために少なからぬ技術的独創的工夫がされたのであるから、各個の場合に存在するこのような特殊性を一切考慮の外に置き、あらゆる合成繊維糸による織物製造の技術は、天然繊維による織物の製造技術の応用ないしは末節的修正にすぎないと断じ去ることは、余りに大ざつぱにすぎ、本件における論議としては到底賛同しえないところである。

(2)  被告は、また、「本件特許発明における各工程は、本件引用例及び公知の技術に基づき、当業者の容易に想到実施しうる程度のものである」旨主張する(前掲被告の答弁の項二の(一)、(二))。

しかしながら、各工程の比較に関する本件審決の認定が必ずしも正当とはいえないことは、すでに説示したとおりであり、本件において挙示援用されたすべて証拠によつても、本件審決の右認定の正当性を肯認することはできないから、被告の右主張も、また、これを採用するに由ないものといわざるをえない。

(3)  また、被告は、「一般縮織物の製造技術、ナイロン捲縮糸の特性が公知である事実を前提とすれば、本件特許発明による最終製品は、糸の種類、太さ等を適宜変更することにより、右公知事実に基づき容易に得られるものである」として、この点に関する本件審決の判断の正当であることを強調する。しかしながら、本件特許発明によつて得られる最終製品(本絹と同様の風合のある縮織物)と引用例の方法によつて得られる最終製品(嵩高の擬毛織物)とは、その織物としての種類及び特性を異にし、引用例の方法及び本件審決が認定した公知技術から容易に得られるものとは認めがたいこと前段判示のとおりであり、この点に関する本件審決の認定の誤りは、本件における被告の主張及び立証にかかわらず、なお、これを否定しえないものといわざるをえない。

(むすび)

三 以上詳説したとおり、本件審決には、本件特許発明と引用例とにおける工程及び最終製品の比較に関する認定を誤り、これを前提として本件特許発明をもつて発明を構成しないと結論した点において違法たるを免かれないから、これを理由に本件審決の取消を求める原告の本訴請求は、理由があるものということができる。

よつて、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅正雄 影山勇 荒木秀一)

(別紙検証物目録省略)

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